スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一線を越えるとどうなるかは毎日海外ニュースで報道されている、それが嫌なら越えるべきではない 

社説 自衛隊の行方 殺し殺される組織にはするな

社説 自衛隊の行方 殺し殺される組織にはするな

2014年07月27日(日)愛媛新聞

 自衛隊が「自衛」隊でなくなってしまう。他国への攻撃に対する武力行使が最終的には自国を守る、という政府の詭弁きべんは、現場の自衛隊員にどう映っているのだろうか。

 安倍晋三首相が集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことで、自衛隊の役割が激変する可能性が高くなった。戦後の日本が守ってきた専守防衛を放棄したことで、海外の「戦場」に赴く可能性が否定できなくなったからだ。

 自衛隊発足から60年を迎えた今年。国防策にかかわる情報公開を抑制する特定秘密保護法が成立、武器輸出三原則も見直された。国は海外での武力行使に向かってひた走っているかのようだ。政府・与党の独走ぶりは危険であり、安倍首相にはあらためて冷静な姿勢を求めたい。

 いざ集団的自衛権の行使になれば、最前線に立つのは自衛隊員だ。若い隊員が命を落としかねない事態を、何としても避けねばならない。

 陸上自衛隊の前身は1950年発足の警察予備隊、その後海上自衛隊の前身である保安庁が組織された。54年には自衛隊法が施行、航空自衛隊を加え現在の形となったのだ。複雑な生い立ちを持つだけに、時の政府の方針次第で不安定な時代を送ってきた。

 戦争放棄と戦力不保持をうたう憲法9条との整合性を問われることになったのは当然であろう。9条は「自衛権」まで否定しないという国の見解は、必要最小限の個別的自衛権の行使は「戦力」に値しないとの解釈も生んだ。

 国際情勢の変化に伴い、91年の湾岸戦争の終結後には掃海任務を遂行。92年には国連平和維持活動(PKO)協力法が成立、2004年にはイラクへ派遣されるなど、存在感を増してきた。国民の間でも、一定程度に認知されるようになったのは事実だ。

 こうして「専守防衛」の枠で自衛隊を運用してきた歴代内閣の手法を覆したのが安倍首相。「国民の生命と財産を守る」と言うが、ならば自衛隊員は国民ではないのか。

 先の衆参予算委員会の集中審議で安倍首相は、自衛隊員のリスクについての質問をことごとくはぐらかした。「安全を確保することは言うまでもない」「現在戦闘行動をしているところに行く危険がないのは明確だ」―。何も担保しない空疎な言葉だ。命を預かる指揮官としての責任が、全く感じられない。

 具体的な危険やそれに対する覚悟を表明できないのであれば、「集団的自衛権行使」の閣議決定を白紙に戻すべきだ。海外紛争などへの資金提供が「小切手外交」とやゆされるが、国民の血税である。何を恥じることがあろう。

 何より、戦後は一滴の血も流していない「平和国家」の誇りこそを大切にしたい。


1件の記事を引用しました

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://seibanlocalunion.blog45.fc2.com/tb.php/8479-293a15cb

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。