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永久に終戦を堅持せよ、それが生きている者の務め 8件 

社説 終戦の日 平和外交こそわが国の使命だ
【社説】 終戦記念日 「9条」の役割、再認識を
論説 終戦の日 「恒久平和」政治に任すな
社説 きょう終戦の日 平和守り抜く覚悟がいる
社説 終戦の日 不戦の誓いを心に刻む
主張 終戦69年の節目 「戦争する国」繰り返さぬ決意
社説 終戦記念日/平和維持へ思索深め行動を
社説 終戦69年 平和憲法骨抜きを危惧する

社説 終戦の日 平和外交こそわが国の使命だ

2014年08月15日(金)愛媛新聞

 きょうは69回目の「終戦の日」。平和への誓いを新たにするのはこれまでと何ら変わらない。違うのは、忍び寄る平和を壊す気配を多くの国民が感じ取っていることだ。

 この1年、安倍晋三首相は日本の針路を危うくする安全保障上の政策決定を相次いで強行した。戦後積み重ねた平和国家の基盤を根底から崩す恐れがあり、容認できない。

 先月は集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更を閣議決定した。国の存立が脅かされるなどの要件を満たせば、必要最小限度の武力行使は許されるとする。専守防衛を旨とする自衛隊が海外の戦争に参加できるようになるのだ。

 安倍首相は限定容認と強調しながら、その後の国会答弁で閣議決定文にない国連の集団安保参加に踏み込んだ。政権の判断一つで対象が拡大すると認めたに等しい。戦争に巻き込まれる不安が国民に広がったのもうなずけよう。

 昨年末に成立した特定秘密保護法も看過できない。国民の「知る権利」を侵すだけでなく、共謀や教唆を処罰対象とすることで、一般市民が秘密に近づこうとする行為に網を掛ける。さらに今春には武器輸出三原則を見直し、従来の禁輸政策を撤廃した。

 これらの政策の先に見えるのは「武力」による国際紛争への介入であり、「戦争ができる国」とそれを支える監視社会の構築だ。共同通信の今月の世論調査では集団的自衛権行使容認に60%が反対し、84%が説明不足を批判した。国民の声に耳をふさいではならない。一連の安保政策を撤回するよう重ねて求める。

 布石はあった。1年前の全国戦没者追悼式。安倍首相は式辞から「不戦の誓い」の文言を外し、歴代首相が触れてきたアジア諸国への加害と反省にも言及しなかった。武力行使に道を開く意図と勘ぐられても仕方なかろう。

 先の大戦は近隣のアジア諸国にも多大な犠牲を強いた。真摯しんしに省みて不戦を誓うのは当然だ。きょう述べる式辞の内容を、日本国民はもとより近隣諸国も注視していると、くぎを刺しておきたい。

 安倍首相はかねて「積極的平和主義」を掲げる。世界の平和と安定に積極的に責任を果たし、わが国の平和を守るという。理念はともかく、武力を背景にする方法論には異を唱えたい。武力による紛争介入は当事国の恨みを買い、敵を増やすだけ。ぶれることなく「戦争しない国」であり続け、外交解決を主導することこそ日本が目指すべき平和貢献の形なのだ。

 戦争を体験していない世代が増え、悲惨さを実感しづらくなっているのは確かだが、人ごとでいてはならない。戦争が現実味を帯びる今だからこそ、平和の重みを一人一人が考えねばなるまい。



【社説】終戦記念日 「9条」の役割、再認識を

2014.08.15 11:00:00

 69回目の「終戦の日」が巡ってきた。戦争の悲惨さ、反省を語り次ぐ体験者が少なくなる一方で、安全保障政策は大きな転換点に立つ。「戦争ができる国」へ向かう一連の動向に危機感を持ち、今こそ70年近くも「武力行使」の抑止となってきた憲法9条の役割を再認識したい。

 憲法を踏みにじる暴挙-。ことしの長崎平和祈念式典で、被爆者代表の女性が「平和への誓い」の中で怒りをあらわにした。政府が閣議決定を強行した集団的自衛権の行使容認に対する意思表明である。

 米軍普天間飛行場の辺野古移設計画が進む沖縄では、「戦争の標的になる」との不安が広がる。米軍の新型輸送機オスプレイが繰り返し飛来した厚木基地周辺の住民は基地機能の強化と懸念を募らせる。安倍晋三首相が掲げる「積極的平和主義」の下、日本では戦争の影が日常に忍び寄っている状況といえよう。

 そのオスプレイが海上自衛隊護衛艦に着艦する様子が表紙を飾ったことしの「防衛白書」は「憲法解釈変更の閣議決定」を歴史的な重要性を持つと評価。日米一体化をより鮮明にした安保政策を正当付けた。

 集団的自衛権の行使に道を開いた上での日米同盟強化は、日本が海外で戦争に巻き込まれる危険性を高める。自衛隊の攻撃力増強は、国際紛争を解決する手段としての武力行使を永久に放棄すると規定した憲法9条の空洞化をもたらすであろう。

 広島、長崎の被爆者団体が要請した閣議決定撤回に応じなかった安倍首相は、昨年の戦没者追悼式の式辞では1994年以降歴代の首相が触れてきたアジア諸国への加害、反省に関して明言しなかった。近隣諸国との関係が改善しないまま、日本が軍事的な存在感を強めれば、緊張関係が高まることは必至である。

 新たな安保政策の基本指針となる国家安全保障戦略では、愛国心の養成とともに、社会的基盤の強化の一環として「防衛施設周辺の住民の理解と協力を確保するための諸施策を推進する」と明記した。沖縄、厚木の懸念がまさに現実化することを彷彿(ほうふつ)とさせて余りある。

 閣議決定に対する国民の不安の高まりは世論調査に明確に表れている。改憲も見据える安倍政権の「戦後レジーム(体制)からの脱却」。戦後69年の夏に、戦争へ突き進んだ歴史をあらためて胸に刻み、平和への志を新たにしたい。

【神奈川新聞】



論説 終戦の日 「恒久平和」政治に任すな

(2014年8月15日午前7時40分)福井新聞

 「戦後60年の間ですね、日本のこの自衛隊によってですね、他国の人間殺したことないんですよ。それからまた他国の軍隊によって日本人が殺されたこともない。先進国でこんな国はね、日本だけですよね。これは本当にね、誇るべきことだと思うね」

 2005年9月、気骨の政治家、後藤田正晴さんが91歳で他界。その最晩年に語った言葉が「日本への遺言」である。時は小泉政権時代。もう少し苦言に耳を傾けてみよう。

 「(最近、腹立たしいこと)それは、この世の中が少し国家主義的な傾向が強くなってきている。しかも強者の論理、全てがね。これはちょっと心配だなと」

 「カミソリ後藤田」と言われ、恐れられていた護憲の論客が警句を発して来年で10年。戦後70年という大きな節目である。

 日本人が襟を正すべき69回目の終戦の日を迎えた。

 当たり前の平和が揺れている。頑(かたく)なに守ってきた平和憲法が国家主義的な政治で変容している。戦後生まれが8割を占める日本。未来像をどう描いていくか。

 安倍晋三首相が第1次政権時から抱いてきた政治信念がある。「戦後レジーム(体制)からの脱却」だ。日本の基本的枠組みが時代の変化についていけなくなり、改革する必要があるとの考えであり、「日本を取り戻す」と同義語である。

 政治学者の御厨貴さんは「戦前の反省の上に戦後があるのではなくて、だらだらと続く戦後を断ち切りたいという発想だ」と言う。

 戦後史で議論になるのが「日本の歴史観は戦勝国から押しつけられた歴史観」であり「自虐史観」を引きずっているとの指摘だ。安倍首相の再登場で、右派論壇の歴史修正主義的主張が一段と強まっている。

 戦争を知らない安倍首相の歴史認識を軸に、自民党は「押しつけ憲法」から脱却するため自主憲法の制定や天皇の国家元首化、自衛隊の国防軍化を志向している。国家安全保障会議(日本版NSC)創設や特定秘密保護法の制定、さらに集団的自衛権の行使容認など安保政策の大転換は「強い国家づくり」の一環だ。首相は昨年12月、A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社への参拝も強行した。

 こうした政治の右傾化は中国や韓国などを過度に刺激し、反発を増幅させている。首相は国内の懸念や近隣国の批判に配慮する気配はない。噴き出す過去とどう向き合い、どう歴史を清算しようというのか。

 従軍慰安婦問題をめぐり政権は1993年の河野洋平官房長官談話を検証、「正しい歴史認識の形成」(菅義偉官房長官)を視野に入れる。それに加え、朝日新聞と産経新聞の過剰、攻撃的な報道合戦は、問題の本質と歴史への冷静な判断力を鈍らせかねない。

 310万人の犠牲の上に成り立つ平和だ。「抑止力」を名目に、再び戦争のできる国にしてはならず、歴史を恣意(しい)的に修正することも許されない。過去を乗り越え未来につなぐ英知は、国民一人一人の中にある。



社説 きょう終戦の日 平和守り抜く覚悟がいる

(08/15)北海道新聞

 きょうは69回目の終戦の日である。深い憂慮を持ってこの日を迎えることになった。

 安倍晋三政権は、憲法9条の下で禁じられてきた集団的自衛権の行使を解釈変更で容認した。

 時の政府の判断次第で、海外での武力行使が現実味を帯びる。

 専守防衛の基本理念を変容させ、わが国の背骨である平和主義を揺るがしている。

 こうした中でこそ戦後の原点を見つめ直さねばならない。

■被爆者の願いを胸に

 <もしも日本が再武装するような事態になったら/たとい最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと「戦争絶対反対」を叫び続け、叫び通しておくれ>

 長崎の原爆で被爆したのちも献身的な救護活動を行った医学者で随筆家の永井隆博士が、2人の子に残した言葉である。妻はすでに被爆死していた。博士は1951年、43歳で死去した。

 今月、広島、長崎で行われた平和祈念式。被爆者の代表らは出席した安倍首相に「過ちを繰り返し、戦争のできる国にするものだ」「わたしたちの苦しみを忘れ、なかったことにしないで」と集団的自衛権行使容認の撤回を訴えた。

 博士の孫で長崎市永井隆記念館長の徳三郎さん(48)は「被爆者の思いは祖父と同じ」と語る。戦争への道を再び開きかねないとの懸念はぬぐいきれない。

 広島、長崎では原爆投下の年だけで約21万人が亡くなった。被爆者は肉親や友人、家財を一瞬にして失うなど、惨劇を身をもって体験した人たちだ。

 死者の面影が心に残り、いまも原爆症に苦しむ人が大勢いる。「戦争」は終わっていない。不戦の誓いを新たにしたい。

■悲惨さ伝える努力を

 先の大戦で日本軍はアジアに戦火を広げ、住民を巻き込んだ歴史も忘れてはならない。310万人もの日本人が亡くなる一方、中国をはじめアジアでの犠牲者は1900万人以上とされる。

 戦闘で人は殺し、殺される。人間らしい気持ちを失う。女性や子供たちも犠牲になる。

 どんな理由があろうと避けるべきだ。手だての一つは悲惨な戦場への想像力だろう。これを積み重ねる必要がある。

 ところが最近の世相はどうだ。

 修学旅行で長崎を訪れた横浜の中学生が語り部の被爆者に「死に損ない」と暴言を吐いた。

 街頭やネット上で在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチ(憎悪表現)が繰り返される。

 「政治的中立性が保てない」と護憲集会の後援を拒否する自治体も相次いでいる。

 個人の尊厳を傷つける排外主義や、公の場での議論を避ける風潮は民主主義の基盤をむしばむ。

 戦争体験世代が高齢化し、忌まわしい戦争の記憶が薄れている。

 子供に先の大戦や戦後の歴史が教えられていないとの指摘もある。過去に学ばなければ現在が分からない。未来への扉も閉ざす。

 体験者に話を聞く。戦争遺跡を訪れる。身近に学ぶべきものは多い。家庭や学校で考えてほしい。

 敗戦後の苦しい生活の中で、国民の多くが「戦争放棄」をうたう新憲法を歓迎した。この事実も共有することが大事だ。

■憲法こそが道しるべ

 平和憲法の下、戦後日本は一度も参戦することはなかった。自衛隊員の戦死者も出していない。

 この意義を再確認しながら、次の世代へと引き継ぐ責務がある。

 安倍首相は海洋進出が著しい中国の台頭や核・ミサイル開発をやめない北朝鮮を念頭に「安全保障環境が悪化している」と強調する。その対抗策が日米同盟による抑止力の強化と言う。

 政治が軍事面に偏りすぎていないか。不安をあおるだけでなく、平和的な外交手段をまず確立するのが国民の願いである。

 戦後、安全保障政策の最初の転換は朝鮮戦争がきっかけだった。警察予備隊発足から保安隊、自衛隊と日本は再軍備に突入した。

 米国の軍事戦略を背景に国民的な論議が不在のまま大転換が行われた。その構図は今回も同様だ。

 わずか1カ月半の与党協議で憲法解釈変更の閣議決定をしたのにも驚く。政権が持つ民意軽視の危うさをあらためて指摘したい。

 今日の社会を築く過程で憲法は道しるべの役割を果たしてきた。

 戦後論壇の旗手で、広島で被爆した丸山真男は憲法前文の国民主権の意味合いについて「戦争防止のために、政府の権力をコントロールすることのなかに生かされなければならない」(「後衛の位置から」)と説いた。

 だれ一人戦場に送らないために、平和を守り抜く覚悟が問われる。岐路に立った。歯止めをかけるのはわたしたちである。



社説:終戦の日 不戦の誓いを心に刻む

 「8月15日」が再びやってきた。この日が持つ意味は今夏、とりわけ重い。安倍政権が先月1日に集団的自衛権の行使を容認、「戦争ができる国」へと強引に方向転換させて以来、初めての終戦の日だからである。

 先の大戦ではあまたの日本人やアジアの人々が犠牲となった。その深い反省に立ち、「二度と戦争をしない」と誓ったのが戦後憲法の平和主義である。

 憲法が認めているのは、日本が攻撃されたときに反撃する「専守防衛」だけだ。自国が攻撃されていないのに他国の戦争に加わる集団的自衛権の行使容認は、戦争放棄を掲げる9条の下、断じて許されない。終戦から69年を迎え、不戦の誓いをいま一度、心に刻む日としたい。

 集団的自衛権の行使容認が必要な理由として、安倍晋三首相は「安全保障環境の変化」を挙げ、「国民の命と暮らしを守るため」と繰り返している。

 その主張を聞いていると、このままでは日本は大変なことになる、行使容認はやはり必要だ、と思ってしまいそうだ。果たしてそうなのか。

 戦後の69年を振り返れば、日本は一度として戦争をすることはなかった。自衛隊は一人として戦闘による犠牲者を出していない。それは間違いなく平和主義があってこそである。

 実は平和主義という考え方は思った以上に古い。世界的には、戦争放棄が憲法に盛り込まれたのは200年以上も前だ。

 フランスでは18世紀後半、侵略戦争の放棄が条文化された。平和への願いは絶えることはなく、19世紀にはブラジル憲法などに侵略戦争放棄が引き継がれた。20世紀前半はスペイン憲法が国策としての戦争を放棄。国際的には1928年の不戦条約が戦争放棄を明記した。

 こうした流れから見えてくるのは、9条の戦争放棄が何も特殊なものではないということでである。長年の人類の英知の結晶、それが9条なのだ。この条文の枠内に踏みとどまり、不戦の誓いを貫く。それが今後も日本が歩み続けるべき道だ。

 集団的自衛権の行使容認によって危うくなってきた平和主義の歩みを強固なものとするために、私たちは何をなすべきなのか。

 戦争を始めるのは、政治家や軍人たちであり、犠牲になるのはいつも立場の弱い国民である。だからこそ、先の大戦で従軍した人や戦死者の遺族、戦時中に子供時代を過ごした人たちはその体験と記憶を語り、子や孫に引き継いでほしい。

 戦火の記憶を一人でも多くの人が共有することで、平和主義はより強靱(きょうじん)なものへと鍛え上げられるはずだ。危機が訪れるのは人々の間から戦争の記憶が薄れ、途絶えるときである。

 国が進むべき道を決めるのは、与党協議のような「密室の議論」ではない。9条を守るのは他でもない、主権者である私たち一人一人の国民なのだ。

(2014/08/15 付) 秋田魁新報



しんぶん赤旗

2014年08月15日 09:44

主張/終戦69年の節目/「戦争する国」繰り返さぬ決意

 日本がアジア・太平洋戦争での敗戦を認めてから、69年になります。戦後生まれが国民の大部分になっても、310万人以上の日本国民と、2000万人を超すアジアの人々の命を奪い、国土を荒廃させた戦争の傷痕は、消えてなくなるものではありません。

 戦後日本国民は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」(憲法前文)ことを誓って、戦争を放棄しました。安倍晋三政権が、他国の戦争に参加する集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、「戦争する国」への道を突き進むなか、不戦の決意を貫くことがいよいよ求められます。

戦後のあり方を覆す

 1945年8月15日の正午、アメリカ、イギリスなど連合国が求めた降伏条件を日本が受け入れたことを伝える昭和天皇のラジオ放送を、耳にしたことがある人は少なくないでしょう。それまで、朝鮮半島や中国の一部を植民地とし、アジア・太平洋の国々への侵略を拡大し続けた日本が、国際的に孤立を深め、ついに敗北したことを認めたのです。

 それから来年で70年を迎えることしは、日本が本格的な対外侵略を始めた日清戦争(1894~95年)から120年、日露戦争(1904~05年)からは110年です。国際的にも第1次世界大戦(14~18年)から100年です。第2次世界大戦後発足した国際連合がその憲章で、「われらの一生のうちに2度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」と明記するように、戦争の惨禍を繰り返さないことは戦後の国際社会の原点です。

 とりわけ日本は、自ら引き起こした侵略戦争の責任を認め、憲法9条で、世界に先駆けてあらゆる戦争を放棄し、あらゆる戦力は持たないと決めました。そのもとで、再軍備や日米軍事同盟強化の企てはあっても、戦後日本が起こした戦争で一人の戦死者も出さず、他国の国民も殺していません。アジアや中東諸国で日本が信頼されたのも、自衛隊がその国の住民を殺したことがないからです。

 安倍政権がすすめる「戦争する国」の策動は、こうした戦後日本のあり方を根本から転換するものです。閣議決定は、アメリカが戦争を起こしたとき、「戦闘地域」であっても自衛隊を戦地に送ることを認めています。しかも日本に対する直接の武力攻撃がなくても、アメリカなど他国に対する攻撃で「日本の存立が脅かされる」などの理由で、集団的自衛権を行使することも認めています。海外で「戦争しない」という原則がひっくり返され、日本が「戦争する国」として、「殺し、殺される国」になるのは明らかです。

「9条は世界の宝だ」

 この夏アメリカ版の映画「ゴジラ」が話題ですが、この映画の第1作を生み出したのは、アメリカのビキニ水爆実験に国民が怒りを広げていた60年前の日本です。いらい出演してきた俳優の宝田明さんは「憲法9条は世界の宝だ」「9条を守りぬく、凜(りん)とした日本人でなければいけない」と訴えます。

 憲法に戦争放棄を明記させる力になり、戦後70年近く「戦争する国」を阻止してきたのは国民です。閣議決定を実行させないたたかいはこれからです。安倍政権と決別し、「戦争する国」を許さないため、力を尽くそうではありませんか。



社説 終戦記念日/平和維持へ思索深め行動を

 きょうは69回目の終戦記念日。多くの人が不安感を募らせつつ、平和と向き合うこの日を迎えたのではないか。

 この1年、平和をめぐる景色は大きく変わった。国際的な秩序が揺らぎ、世界は安定から緊張に向かっている印象だ。

 収束を見通せぬ東欧、混迷を極める中東の情勢しかり、攻勢を強める中国、挑発を続ける北朝鮮の動向またしかりである。

 戦後、核軍拡競争や東西冷戦が激化し、平和の危機が叫ばれた時代はあった。今、先行きに懸念を強めているのは、不測の事態発生や「参戦」の可能性を感じ取っているからだろう。

 国内的な要因をたどれば、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げる安倍政権が一気呵成(かせい)に進める安全保障政策の大転換に行き着く。

 昨年末の特定秘密保護法の成立と国家安全保障会議発足に始まり、外交と安保政策初の包括指針となる国家安全保障戦略、武器輸出三原則を見直した防衛装備移転三原則、7月の憲法解釈見直しによる集団的自衛権の行使容認-の閣議決定である。

 平和国家のイメージが損なわれ、共にあった戦後がかすむ。

 無論、取り巻く環境の変化を傍観していて平安を保てるほど、現実はナイーブではない。問われるべきは、施策が近隣諸国との対立関係を緩和し、地域の安定化に明確に資するか否か、の冷静な評価である。

 一連の対応は日米同盟深化による「抑止力」の強化などが狙いと説明される。防衛白書で北朝鮮は体制維持の抑止力として核開発を進めていると記した。その脅威を看過できないが、裏を返せば周辺国も日本の動きをそう受け止めていよう。

 国の安全を高める政策の組み立ては難しく、多角的で深い想像力と周到な戦略が必要だ。

 一定の防衛力は要るにしても、その強化だけで平和を守れない。ややもすれば過信を生み偶発的衝突を招く恐れさえある。交流の促進と懐の深い外交こそ肝要で、領土や歴史認識をめぐり途絶える中国、韓国との首脳会談実現を急ぐべきだ。

 昨今の国際情勢、時代の空気が100年前の第1次世界大戦に似る、と見る向きがある。目先の国益追求や国の威信への固執と対外的恐怖などが絡まり、政治指導者がミスを重ねた揚げ句、想定外の大戦を招いた。
 軍備増強と同盟強化が抑止どころか逆効果となって総力戦に発展し、次の大戦にもつながる深刻な傷を残した。限定や最小限の期待が裏切られる戦史の教訓に学ばなければならない。

 著書「全体主義の起原」で知られるドイツの政治哲学者ハンナ・アーレントは事実を多様な角度から見、語る意義を指摘。異論に耳を傾けない結論ありきの構えの危うさを教える。

 戦争は国のリーダーが始め、国民の犠牲で終わる。流されてはいけない。平和を「次の戦争開始までの短い期間」としないため、一人一人、平和維持に向けた思索を深め、行動で示す当事者意識を問われている。

2014年08月15日金曜日 河北新報



<社説>終戦69年 平和憲法骨抜きを危惧する

2014年8月15日 琉球新報

 終戦から69年を迎えた。「戦争の反省」から築いてきた平和の重みを国民全体でかみしめたい。

 日本はアジア・太平洋戦争で国民の尊い命を犠牲にし、アジア諸国をはじめ多くの国の人々の命を奪った。日本はその反省から戦後一貫して平和主義を貫き、平和国家としての確固たる国際的地位を確立した。

 それはとりもなおさず平和憲法によるところが大きい。ところが、この1年で憲法による自衛隊活動の歯止めを次々と骨抜きにする動きが加速している。

 70年近く続いてきた日本の平和が揺らぎ始め、日本の国のカタチが戦争のできる国へと大きく変容しようとしていることを危惧する。

 日本の戦後の原点である「戦争の反省」を安倍首相が踏まえているようには見えない。米国に追随しその機嫌を取るために、自衛隊の軍備を最大限活用することしか頭にないように思える。国民の安全はそこにはない。

 政府は昨年12月、機密漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法を公布し、年内に施行する。ことし4月には武器や関連技術の輸出を基本的に禁じてきた武器輸出三原則を廃止し、武器輸出ができるように防衛装備移転三原則を閣議決定した。

 7月には、日本が攻撃を受けていなくても他国への攻撃を実力で阻止する集団的自衛権行使の容認を閣議決定した。

 安倍政権の一連の安全保障政策は戦前を想起させる。安倍首相が掲げる「積極的平和主義」は危険だ。他国を攻撃すれば反撃される。国民が戦争に巻き込まれる危険性が高まっているのである。平和と引き替えに戦争ができる国へと突き進んではならない。

 長崎の被爆者団体代表の集団的自衛権への問い掛けに、安倍首相は「見解の相違」と切り捨てた。戦争体験に基づく声に真剣に向き合うのが被爆国日本の首相の在り方である。異なる意見には耳を貸さない姿勢は許されない。

 集団的自衛権行使容認の理由として安倍首相が挙げる「安全保障環境の変化」には、軍事力ではなく外交力で臨むべきである。それこそが憲法の精神である。外交力を磨くことにこそ力を注ぐべきだ。

 憲法を順守する立場にあることを安倍首相は心に刻んでほしい。それが平和国家日本のリーダーのあるべき姿である。


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