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責任の所在をはっきりさせるのが司法の役割、それを怠るなら民主国家とは呼べない 原発はもういらない 

福島原発事故 再び不起訴 「人災」が「無実」で終わっていいのか?

福島原発事故、再び不起訴。「人災」が「無実」で終わっていいのか?

(更新 2015/1/23 19:13) dot.

 東京地検は22日、東京電力福島第一原発の事故において、業務上過失致死傷の疑いで告訴・告発されていた東京電力の勝俣恒久元会長ら元幹部3名について、2度目の不起訴処分(嫌疑不十分)とすることを発表した。
 
1度目の不起訴処分の後、被災者らでつくる福島原発告訴団の審査申し立てを受けた東京第五検察審査会は「原発には高度の注意義務が課されているから、過去に起きたことがない危険であっても、科学的な根拠のある危険は予測すべき」(「危惧感説」という学説)として、東京電力の元幹部3名については、業務上過失致死傷罪による起訴を相当とすると議決していた。

 古川元晴・元京都地検検事正は今回の不起訴処分について次のように語った。

「現に、危惧感説によって罪に問われた森永ドライミルク中毒事件などの事例もあり、最高裁判例もこれを支持したものはあっても否定したものはないのです。東京地検の不起訴処分は二度とも、過去に起きたことがあって具体的に危険が予測できないと罪に問えないという考え方(「具体的予見可能性説」という学説)によったものです。

 原発は、一度事故を起こすと被害は極めて甚大ですから、事業者には高度の注意義務が課されていたことは、一般の常識として誰にでも明らかなことでしょう。今回の不起訴処分は、一般の常識に反しますし、検察の正義も失われてしまうでしょう。 原発は「治外法権」ではないのですから厳正公平に「法」によって裁かれるべきです。社会の安全を守るために、検察審査会が危惧感説によって、再度、適切な議決をすることが期待されます。」

 また、船山泰範・日本大学法学部教授によると、東京地検が、二度目の不起訴処分をした論拠になっているのは、「過失犯において結果を具体的に予見できなければ、回避措置をとる必要がない」という見解によるという。これに対して「危惧感があれば回避措置をとるべき」とする見解に立てば、おそらく結論は違ったものになったはずだ。

「地震や津波は誰もが具体的に予見できるものではありませんが、世界でも有数の地震大国である我が国では、何が起きてもおかしくないものである以上、万が一のことを考えて、東京電力がメルトダウンをしないよう回避措置をとるべきです。ひとたび事故が起きれば人間の力では回復しえないような巨大な破壊力を抱えている事業者としては、一抹の不安でもあれば、それを拭い払う努力をするのは最低の義務と言わねばなりません。」と同教授はコメントした。
 
 また、東京地検は「回避措置をとっていても被害は防止できなかった」という趣旨のことを述べているが、同教授によると、
「これこそいい加減な推測です。なすべきことをなさなかった者に、どうせ回避措置をとっても事故は防げなかったのだから免責されると言うのは、無責任な事業者を放置することになります。それでは検察は理非曲直を明らかにすべき職責を放棄したと言わねばなりません。検察審査会は再審査に入り、良識を発揮して起訴議決をし、検察官の怠慢を叱責することになるでしょう。」

 今後、検察審査会は2回目の審査を行うことになり、東電元幹部3名に対して再び「起訴相当」と議決した場合は強制起訴となる。引き続き今後の動向が注目される。

(文・構成:『福島原発、裁かれないでいいのか』編集チーム)


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